レイテ島に眠る祖父
私の母方の祖父は、27歳という若さでこの世を去りました。
1918年(大正7年)1月25日、四人兄弟の四男として横浜市に生まれた祖父。
1941年(昭和16年)23歳で結婚し、その年に私の母、翌年に叔父が生まれました。テーラーとして働いており、横浜市長のオーダーメイドのスーツを手がける程の腕のよさだったそうです。
1943年(昭和18年)戦争後期の5月のこと、召集令状が届きます。子供たちがそれぞれ3歳、2歳のときに、日本を離れ戦地へと旅立ったのです。
当初は近衛歩兵第三連隊、その後歩兵第一連隊に配属され、1944年(昭和19年)満州孫呉から金華丸に乗り、フィリピンのレイテ島に上陸します。
そして1945年(昭和20年)7月、レイテ島カンギポット山にて命を落とします。
帰りを待っていた家族の元へは、ベルトとわずかな毛髪だけが渡されたそうです。
戦後73年経った今も、遺骨は日本に帰ることができずに、カンギポット山のどこかに眠っているのです。
一度も逢ったことのないおじいちゃん。おじいちゃんというには若すぎるその人の事を、私はつい最近まで何も知りませんでした。
実は私にはもうひとり、母方の祖父がいます。戦争に行き、生きて帰国した人です。軍曹だった彼は、満州やシベリアでの戦争の話をよくしていました。
私が高校生だったある時、母が教えてくれました。
「実は本当のおじいちゃんは、戦争で亡くなっているの。お母さんが三つの頃で、おばあちゃんは今のおじいちゃんと再婚したのよ」
今までずっと本当のおじいちゃんだと思っていた人が、実は私とは血が繋がっていなかった…
…と、まあそう聞かされても、私達をかわいがってくれている楽しいおじいちゃんへの気持ちは何も変わりがありませんでした。
そして、戦争で亡くなった祖父のことは特別考えることもなく、顔も、声も、どんな人生だったのかも、何も知らないまま私は育ってしまいました。
大好きだった祖父母も亡くなり、もう20年以上が経とうとしています。私は日々の暮らしを、何不自由なく過ごさせていただいていることに感謝しつつも、のほほんと生活していました。
そんな私を変えた一冊の本が『永遠の0』でした。
2013年(平成25年)家族旅行のときに空港の書店で偶然手にした本。この一冊にこんなにも感動し、号泣させられるとは思ってもいませんでした。
読み始めてすぐに、主人公の青年と私がほぼ同じ境遇だったことに気づかされます。
祖母と再婚した祖父をずっと本当の祖父だと思っていたこと。
祖父が戦地でどれほどの体験をしていたか、これまで何一つ知らなかったこと。
祖母と再婚した祖父がとても優しく、子、孫思いであったこと。
そして何よりも、戦地にいる青年の「娘に会うまでは死なない」という一途な気持ちに、
「私の祖父もきっとそうだったに違いない」
そう考えずにはいられませんでした。
もっと早くこの本に出会いたかった。
私はすぐにもう二冊を買い求め、母と叔父に手渡しました。二人共、二度読み返したと言っていました。
叔父は照れくさそうに「いや~、うちの親父はあんなふうには思っていなかったよ」と言うので、「絶対に思っていたよ!」と言い返しました。
『永遠の0』に出会ってからのここ数年間というもの、祖父の姿を追い求めるように、戦争映画を見たり戦記を読んだりするようになりました。
レイテ戦を描いた大岡昇平氏の『野火』は映画にもなりましたが、観るに読むに耐え難いシーンが次々と現れ、これが現実にあったことなのかと思い知らされました。
ほんの少し生まれた時代に差があるだけで、なぜ、彼らはあれほど過酷な人生を生きなければならなかったのか。
私たちには、もっともっと知らなければいけないことが沢山あるのではないか。
戦争で尊い命を落とした祖父たちへ想いを寄せ、彼らの経験を語り継いでいくことが、私たち孫世代の義務なのではないか。
遅ればせながら、日々そんな事を考えています。